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藤村和也(ふじむらかずや)

司法書士 藤村和也 事務所 代表

埼玉司法書士会所属 

登録番号 130862号

簡裁訴訟代理系業務認定番号

103029号

成年後見センターリーガルサポート 

会員番号 3306419

昭和50年生

 

趣味 

 

・卓球(北本市のフルセットでしています)

・トレーニング 

・F1 (セナのことが忘れられません)

・映画鑑賞 

 自信をもって業務を行っております。

 略歴・資格

昭和50年 埼玉県鴻巣市に生まれる。
  学歴
昭和63年3月 鴻巣市立鴻巣松原小学校卒業
平成3年3月 鴻巣市立鴻巣南中学校卒業
平成6年3月 埼玉県立北本高等学校普通科卒業
平成10年3月 関東学園大学法学部法律学科卒業
  職歴
平成10年4月

ミサワセラミックホーム株式会社(ミサワホームの営業)入社

平成10年12月 ミサワセラミックホーム退社

  資格

平成9年12月 宅地建物取引主任者合格

 司法書士史

平成11年1月 司法書士試験勉強開始
平成12年7月 司法書士筆記試験
平成12年10月 司法書士口述試験
平成12年11月 司法書士試験合格
平成13年1月〜2月 司法書士集合研修
平成13年3月〜4月 配属研修
平成13年5月 司法書士登録、埼玉司法書士入会
平成15年7月 簡易裁判訴訟代理業務の認定を受ける
平成21年1月 成年後見センター・リーガルサポート正会員 
平成21年4月 家庭裁判所の後見人候補名簿・後見監督人候補者名簿に登載(現在まで継続)
平成23年7月 埼玉司法書士会 鴻巣支部 支部長

私は、昭和50年5月17日埼玉県鴻巣市に生まれました。現在の事務所は、私が生まれ育ったところです。松原幼稚園、松原小学校、鴻巣南中学校、北本高校、年関東学園大学、ミサワセラミックス入社、平成12年に司法書士登録開業をしました。                         

私は、小学校、中学校では、通知表で5段階評価で、5は一度もとったことがありませんでした。成績は、中の下くらいで、特に中学校では成績の良い生徒に馬鹿にされました。中学のときは、卓球に夢中になり、最後に大会で県大会に出たことが一番の思い出になります。                   

北本高校では、最初の中間テストでクラスで一番になりました。このたまたまの結果で、テスト前だけは、まじめに勉強するようになりました。普段はいうと中学のときよりも卓球ばかりをやっていました。練習をして、夜遅く帰ってきて、さらに、走りにも入った。本当に、ひらすら卓球をした時期でした。

部活を引退し、私も就職するか、進学するか選択することになりました。私は、就職はしたくなかったったので、進学することにしました。さいわい通知表の成績は良かったので、推薦入試を狙うことにしました(それしか、ありませんでした)。高校3年になって5月くらいから一応受験勉強をしました。予備校などには行きませんでした。当時は、評定平均をあげることを目標としました。志望校は社会系が好きだったので、法学部にしました。私の場合、成績が校外ではあいかわらず悪かったので、関東学園大学を先生に薦められたのでここに決めました(ここしかありませんでした)。受験勉強は、英語、国語、小論文に絞ってしました。平成5年11月末に推薦入試を受けて何とか関東学園大学に合格することができました。

平成6年4月に大学になんとか入学しました。大学1年のときは、先輩にいかに楽に単位を取得するかを伝授してもらい要領よくやりました。なんだかんだいってやはりテスト前だけ勉強して、48単位中40単位で優、4単位良でした。

大学2年の最初に、成績優秀者が掲示板に発表されました。賞金は、20万円でした。その中に1人の成績をきくと48単位中40単位で優、8単位良であった。私も後4単位がなければ20万もらえた可能性がありました。くやしかったです。成績優秀者を狙ってやると思いました。大学2年のときは、できる限り授業に出て、試験の一ヵ月前から図書館にこもって勉強、後期(9月末)になってからは、対策が必要な教科については、講義後すぐ復習もしました。勉強の生活がはじまろうとしていた時期でした。


大学2年のときの成績は、48単位中40単位で優、8単位良でした。この成績で、学年で2番目の成績になり、賞金20万円を獲得しました。ただ、この賞金は、母に学費として取られました。

大学3年のときは、今度こそ学年で一番になるという目標を立てました。計画は、講義終了後、少しづつ勉強しようというものでありました。図書館にはよく行きました。法律の勉強をたくさんしました。最高裁判所民事判例集そのもの読んだり、今では考えられないような無駄の多い勉強をたくさんしました。そんな勉強でも楽しかった時期でした。勉強して人生の中で一番楽しい時期でした。自然に法律の勉強が好きになっていきました。こんな図書館漬の生活を1年くらい送りました。この時期は講義の後夜9時くらいまで勉強することは当たり前で、自宅に変えるには夜10時30分くらいでした。司法書士になるためには非常に重要な転機でした

予断ですが、この時期は、鴻巣市人形町の大和運輸(今もあります)で、朝6時から8時までアルバイトをしてから学校に行ってました。今では絶対に考えられない生活です。

大学3年のとき、卒業生が約3年半の勉強で、司法書士に合格したという発表がありました。これも司法書士になろうとした大きなきっかけでした。

大学3年のときの成績は、48単位中 48単位優 全教科(すべて法律系)優でした。ついに学年で一番になりました。成績優秀者として、20万円を獲得しました。この時期は、私も大学4年になり、就職を考えるようになりました。

実は、私は大学1年、2年の春休みにミサワホームの関東工場(当時はミサワセラミックケミカル 後にミサワセラミックスに吸収合併された)でアルバイトをしていました。大学2年のアルバイトで、課長さんに気に入られて、就職しないかと誘われていました。ミサワセラミックスは、名古屋証券取引所に2部上場している会社でした。私は、上場会社に入社するチャンスは、この会社しかないと考え、第1希望としました。この会社以外入社する気はなかったので、内定をもらえました。熱意は伝わったと思っています。しかし、ミサワホーム営業職としての内定でした。

住宅の営業をするからには、宅建が必要だ。私は、そう考え7月19日からレック東京リーガルマインド大宮校(以下、レックという)の口座を申し込みました。成績優秀者の賞金で口座料を支払いしました。さすがに今までに法律の勉強をたくさんしていたので、宅建の成績は、ぐんぐん上がっていって9月中旬には完全に合格水準まで達しました。

試験当日は、完全に受かる自信をもって受けて合格しました。当然でした。ちなみに勉強時間は、9時から3時まで卒論、3時から7時まで、宅建の勉強というスケジュールでした。レックには、司法書士試験受験のポスターがあって、合格者の約90%が利用していました(と書いてありました)。ここにくれば、司法書士に合格できるかも知れないそう思わせるものでした。これも司法書士になるきっかけの1つになりました

また、当時の宅建の勉強方法は、講義を受けた後に講義の内容をすべて書き写し、該当の問題集(過去問に限らず、市販品ほぼすべて)を解きまくりました。この方法も司法書士試験の勉強に非常に役に立ちました。この勉強のおかげて、司法書士試験の勉強もいきなりトップスピードから入ることができました。なぜこの方法の勉強をとったかは分かりません。少なくともレックの講師は問題集は過去問だけで良いと言っていました。過去問の習得があっさりできて、もの足りなかったかも知れません。

平成10年4月ミサワセラミックスに入社したが、いきなり名古屋にとばさました。知らない地、知らない人ばかり、5月には、飛び込み営業もやらされました(受動態です)。朝、8時30分に出社、午後9時まで営業、午後9時から事務処理という地獄の生活でした。今も思いますが、私は、営業向きではありません。会社に戻ると部長にしょっちゅう怒鳴られました。本当に地獄のような日々でした。

ある日仕事が嫌になって、愛知県犬山市の図書館で法律の本を読んだ。涙がでてきました。私は、法律が好きだ。何でこんなことをしているのだろう。12月初旬部長に呼ばれて、工場に行かないかと言われました。一生懸命だから首にしたくない。でもとても営業ができるレベルではないと言われました。

その時、私の頭の中で司法書士に挑戦するときではないかと考えていました。頭の中で「司法書士 司法書士} とつぶやいていました。好きな法律で、食べていく。

最後に名古屋駅前の本屋で司法書士試験の問題集を解きました。解けた。まだいける。帰りに名古屋のレックによって説明を受けました。

プロになる。司法書士試験の合格率は、2%台、私のレベルでは国家試験としては限界だろう。簡単な試験では意味がない。私のような落ちこぼれは、思い切り難しい試験に受かっていくしか生きる道はない。司法書士試験受験を決意しました。

 平成10年12月20日ミサワセラミックスを退社し、12月24日司法書士試験の勉強を開始しました。初日、権利能力の勉強から始まりました。なつかしい、するべきことをしているそう実感じました。初日から問題集を解きまくりました。司法書士試験より難しい司法試験の民法の択一の問題集も解きました。難しいものそしてより多くの問題を解きたかったからです。講義を聴き、その日のうちに講義の内容をすべて、六法に書き、写す、過去問を解く、次の日に勉強したところのすべての市販されている問題集を解く、これを繰り返しました。六法も合格した平成12年7月まで何度も読みました。

風呂、トイレ、電車どこでも読みました。おかげで、当時の民法用の六法はカビが少し生えました。毎日9時30分から19時くらいまで勉強しました。 

択一の勉強は、すべての教科を通じて順調でした。初級編の答練(模擬試験のようなもの)は毎回万点余裕だったので、平成12年1月から答練の上級編を受けました。1回目の答練から偏差値68、2年目以降の受験生にまじっても択一の実力は十分でした。 
しかし、司法書士試験の最大の難関といわれる書式(事例があり、登記申請書を作成する)はなかなか合格レベルになりませんでした。毎回、ひどい点数でした。結局、上級編の答練で平成12年3月上旬まで満足な書式の回答はできませんでした。書式の内容自体は、択一の範囲内の知識で解けるもので、、やりかたが悪いことは明らでした。いかに、読み飛ばさず、内容を理解するか。毎回、回答の解説をする講師が同じ方法で解説していた。私は、書式につき、マニュアル化をすることにしました。まず、ここを読み、ここにメモをする、、、、完全にマニュアル化し、毎日繰り返しました。体にこのマニュアルを覚えこませようとしました。次第に書式ができるようになりました。4月中旬の答練ファイナル編で、偏差値70を超えました。ベテラン受験生(こんな変わった表現も受験時代にはありました)にまじっての1位になりました。大丈夫だ。今年一発で受かれるぞと安心しました。

5月上旬公開模試がありました。。ここで私は、書式で判断ミスをし、択一は合格レベルだったが、本試験推定順位1000番台(例年合格者は、550名くらい)になってしまいました。この試験の怖さをあらためて知った瞬間でした(この後を考えると重要な転機でしした)。
 司法書士試験に合格するための知識は十分あると感じていました。これ以上の知識は必要はない。いかに読み飛ばしをしないか、人間的なミスをしないか、書式を完全に読みとばしなしに、解くか一ヵ月間問題集を解きながら、目が斜め読みしないようにひたすら訓練しました。ひたすら訓練しました。

6月だったと思うが、2回目の公開模試では、本試験推定順位54位まできました。もう油断、そして人間的なミスを書式でしなければ完全に合格するレベルに達していました。その後、本試験までは人間的なミスをしない訓練を繰り返しました。

平成11年7月第2日曜日本試験当日予定どおり択一は、問題がありませんでした。ただ、午前中の民法・商法の問題はすごく難しいなと感じていました。いつもの模試より時間がかかっていました(35問中27点でしたが、足切りが21点から23点と言われているので、この難易度は私にとって有利でした。司法試験の問題を解いていたことが結果的に幸運でした)。

午後の択一式の問題もすっげえ難しいと感じながら解いていました。択一の問題を解き終わると既に1時間10分経過していました。今までの模試で択一を1時間以内で必ず解いていましたので、これにはあせりました。

私の書式の問題の解き方は、問題文の下に紙を引き下の部分を見えないようにして一行ずつ解き方でした。これが鉄則のマニュアルでした。私はあせりの余りこのマニュアルをできませんでした(この年に合格していなかったら、きっとこの行為は後悔していたと思います)。

そして、さらに不動産登記法の書式でとんでもないことが起こっていました。後で分かりましたが、問題に出題ミスがあったのです。試験後の予備校での模範解答3つの答えに分かれていました。スムーズにできる分けがありませんでした。不動産登記法の書式において、私は最初間違った答えを書いていました。しかし、商業登記の書式が終わり、残り10分でなぜか不動産登記法の書式の答えを書き換えました(これが、後に幸運にも最も正解だと言われた回答でした)。書き換えに時間がかかり択一のマークシートを回収しているときも書いていました。あきらめない精神です。結局、午後の試験は全く再度の確認ができませんでした(マークシートが正しいかも確認できていませんでした)。

 試験の夜、予備校の模範解答とみると1次試験の択一35問中27点、2次試験35問中28点でした。択一は、合格には十分でした(マークシートがあっていれば)。書式は、レックの模範解答によると不動産登記が7割、商業登記が8割位だった。もしかしたら合格できるかも知れないと思いました。。

 試験から合格発表まで、合格できるかは、分かりませんでした。もし、不動産登記の書式に出題ミスがなければこんな不安な気持ちはなく、余裕の期間だったと思います。10月8日アルバイトを3時に終えて、さいたま地方法務局に合格発表を見に行きました。浦和駅から、さいたま地方法務局まで歩きましたが、ものすごく長かったです。
 掲示番に自分の番号を見つけたとき、周りにたくさんの人がいたが、人目もはばからず「おーーーー」を叫びました。合格していました。当時の司法書士試験は、一次試験に合格すれば、2次試験は、ほぼ全員が合格していたので、事実上の受験生活が終わった瞬間でした。さいたま地方法務局から、浦和駅に向かう途中、「やっと法律実務家として、ドアのノックをすることができた」との心境と同時に「これからは、プロとしてお金を貰う立場になる」本当に司法書士としてやっていけるのか。不安ばかりが募っっていました。ミサワ時代の戒めが、私が浮かれるこを防ぎました。母に一番の電話しましたが、「あっそ」と言っただけでした。私が浮かれないようにしたと考えています。11月8日最終合格し、11月中旬さいたま地方法務局で、合格証書を受領した。合格率は2.7%でした。

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