私は、昭和50年5月17日埼玉県鴻巣市に生まれました。現在の事務所は、私が生まれ育ったところです。松原幼稚園、松原小学校、鴻巣南中学校、北本高校、年関東学園大学、ミサワセラミックス入社、平成12年に司法書士登録開業をしました。
私は、小学校、中学校では、通知表で5段階評価で、5は一度もとったことがありませんでした。成績は、中の下くらいで、特に中学校では成績の良い生徒に馬鹿にされました。中学のときは、卓球に夢中になり、最後に大会で県大会に出たことが一番の思い出になります。
北本高校では、最初の中間テストでクラスで一番になりました。このたまたまの結果で、テスト前だけは、まじめに勉強するようになりました。普段はいうと中学のときよりも卓球ばかりをやっていました。練習をして、夜遅く帰ってきて、さらに、走りにも入った。本当に、ひらすら卓球をした時期でした。
部活を引退し、私も就職するか、進学するか選択することになりました。私は、就職はしたくなかったったので、進学することにしました。さいわい通知表の成績は良かったので、推薦入試を狙うことにしました(それしか、ありませんでした)。高校3年になって5月くらいから一応受験勉強をしました。予備校などには行きませんでした。当時は、評定平均をあげることを目標としました。志望校は社会系が好きだったので、法学部にしました。私の場合、成績が校外ではあいかわらず悪かったので、関東学園大学を先生に薦められたのでここに決めました(ここしかありませんでした)。受験勉強は、英語、国語、小論文に絞ってしました。平成5年11月末に推薦入試を受けて何とか関東学園大学に合格することができました。
平成6年4月に大学になんとか入学しました。大学1年のときは、先輩にいかに楽に単位を取得するかを伝授してもらい要領よくやりました。なんだかんだいってやはりテスト前だけ勉強して、48単位中40単位で優、4単位良でした。
大学2年の最初に、成績優秀者が掲示板に発表されました。賞金は、20万円でした。その中に1人の成績をきくと48単位中40単位で優、8単位良であった。私も後4単位がなければ20万もらえた可能性がありました。くやしかったです。成績優秀者を狙ってやると思いました。大学2年のときは、できる限り授業に出て、試験の一ヵ月前から図書館にこもって勉強、後期(9月末)になってからは、対策が必要な教科については、講義後すぐ復習もしました。勉強の生活がはじまろうとしていた時期でした。
大学2年のときの成績は、48単位中40単位で優、8単位良でした。この成績で、学年で2番目の成績になり、賞金20万円を獲得しました。ただ、この賞金は、母に学費として取られました。
大学3年のときは、今度こそ学年で一番になるという目標を立てました。計画は、講義終了後、少しづつ勉強しようというものでありました。図書館にはよく行きました。法律の勉強をたくさんしました。最高裁判所民事判例集そのもの読んだり、今では考えられないような無駄の多い勉強をたくさんしました。そんな勉強でも楽しかった時期でした。勉強して人生の中で一番楽しい時期でした。自然に法律の勉強が好きになっていきました。こんな図書館漬の生活を1年くらい送りました。この時期は講義の後夜9時くらいまで勉強することは当たり前で、自宅に変えるには夜10時30分くらいでした。司法書士になるためには非常に重要な転機でした。
予断ですが、この時期は、鴻巣市人形町の大和運輸(今もあります)で、朝6時から8時までアルバイトをしてから学校に行ってました。今では絶対に考えられない生活です。
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